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ナイツが語る、漫才へのこだわり。SWITCHインタビュー 達人達(たち)書き起こし

2018年5月5日放送の、Eテレの対談番組「SWITCHインタビュー 達人達(たち)」。

夫婦フォークデュオハンバート ハンバートが、漫才師のナイツと対談する、という内容でした。

再放送を録画しておいたところ、対談でナイツの二人が語った言葉が、とても興味深かったので書き起こしてみました。

「ヤホーで調べる」漫才にたどり着くまでの紆余曲折と、漫才へのこだわり。
アツいです。





番組後半の舞台は、ナイツの二人が普段漫才を披露している浅草の「東洋館」。

若いころのビートたけしが活躍していたことでも有名ですね。


出典:東洋館のご案内

ハンバート ハンバートの二人が聞き手となって、ナイツの二人が自分たちの漫才を語ります。

以下の4名での対談です。
ハンバート ハンバート 佐藤良成(以下佐藤)
ハンバート ハンバート 佐野遊穂(以下佐野)
ナイツ 塙宣之(以下塙)
ナイツ 土屋伸之(以下土屋)

なお、番組すべての書き起こしではなくナイツの語りを中心に抜き出しました。

ポップを目指して挫折、それから

テレビに出てワーキャー言われたい

佐野「ナイツさんは不本意に漫才協会に入って、ナイツは若い人よりお年寄りだ、って社長さんが仰ってて、それで漫才協会がいいんじゃないかっていうことで浅草に出るようになったって聞いたんですけど……」

「若い時はやっぱりちょっとポップと言うか。ライブにね、テレビに出てね、ワーキャー言われたい。もちろんね」

土屋「気づいてないですからね、自分たちのオヤジ臭さに。やっぱりこうポップなキングコングとか。そういう感じのところに憧れてやってますから」

「シュっとした、ね」

土屋「こう見えても。そのころやっぱり(オヤジ臭さに)気づくまでは、結構時間かかりましたよ」

ナイツの漫才の誕生

ナイツは結成から7年経ったころ、ある漫才スタイルを見出します。
塙が延々とボケ続け、土屋がツッコむ、現在も続くナイツの漫才です。
それを育んだのは……。

土屋「2007年くらいですか、東洋館でやってるだけじゃなくて下の演芸場のほうもやろうっていうことになって。そこで舞台の数が一気に年間500とか増えてくる。寄席のお客さんの前でやると、なんでしょうねこう、自分たちのファンの人たちの前でやるのとはちょっと違う反応なんで、そこでなんかやっぱネタが鍛えられるなって気づいて。そこで良くなってきましたね。浅草、逆に利用しようって」

計算だった浅草色

ずっと、キングコングのようなポップなお笑いを目指して来た二人は、路線変更を決断します。

「要するに、浅草に寄せたってことですね。ある意味、作戦なんですよね。テレビ見たときに、浅草の芸人で浅草の舞台からテレビに出てる人が一組もいなかったんで。で、こっち(ポップ)はもう渋滞で。こっち(浅草)はスカスカで。ずっとこっち(ポップ)に行きたくてこだわり続けていて、でもここ(浅草)は俺らしかいないんじゃないか、ってやっぱ思ったんですね。だからもう、ここ(浅草)に全力を注ごうということで。さらに舞台を踏めるように、落語の協会の方にも入って。より浅草色というか、寄席色を強くした感じです」

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正統派って何?

周りのイメージとのギャップ

ハンバート ハンバートが、自分の音楽を「フォーク」と名乗ることで、昭和・四畳半・貧乏というようなイメージで見られやすく、「自分たちが考えているフォークはもっとかっこいいもので、それをやればいいと開き直って、それも作戦のようなものだった」という話を受けてーー。

「僕ら、よく正統派とか言われるんです。ワケわかんなくて」

土屋「うんうん」

「そもそも『ヤホーで調べました』っていうネタなんかですね。あんなの普通の漫才から違う、ぶっ飛んだことやろうって、ずーっとボケて、ツッコむみたいなやつやって、なんだこれ?みたいになってたんです。10年経つと、あれがなんかもうすごい正統派漫才って言われるようになるんですよ。これがおもしろくて。結局、ホントに普通のことで売れた人ってたぶん一人もいない。だからアキラ100%だってたぶん2〜3年したらあれ正統派みたいになりますよ」

佐野「そうですか?(笑)」

土屋「3年でなりますよ。桂子師匠(内海桂子)とかの時代はもっとすごかったみたいですね。いきなり脱ぎだしてボクシングやり始めたりとか、トンボ切ったりとか。そういう漫才とかがめちゃくちゃいる中で、たまたまこういうのが残ってる、って感じだから。意外と伝統って気にしだすとなんかこう、すぐ行き詰まるというか」

僕らの「ウナギのタレ」

ぶっ飛んだ方向でも、続けることでそれが正統派になってしまう。
それでも、同じことだけをただ続けるわけではなくーー

「だから、ウナギのタレって僕ら呼んで漫才やってるんですけど、ウナギのタレも、ちょっと新しく変えるじゃないですか。でも、ずっと同じタレじゃないですか、そういう感じでやってます。ちょっと間を変えたりとか、言い方を変えたりとか、ちょっとこう違うボケを、タレの中に入れて……結局同じタレ。(観客は)あんまり気づかないかもしれないけど、こっちは継ぎ足し継ぎ足しで。だからやっぱり新しいことをやんないと腐っちゃうというのはもちろんあると思うので」

月に10本、ネタを作る

二人でゼロからはできない

話題はナイツのネタ作りへ。

佐野「一緒にやりはじめてからも、ずっと塙さんだけが(ネタを)作ってるんですか?}

土屋「両方書いてたときもありましたけどね……。そんときよりも今のほうが、僕もやりやすい。二人でゼロから作ろうとすると、できないし。僕が製作段階から関わっちゃうと、僕ってやっぱり根がボケじゃないから。あの、常識人なんですよ。自分で言うのもあれですけど」

佐藤「(笑)」

土屋「ありきたりなもの、型にはめようとしちゃうんです。公務員のチェックが入っちゃうんで、それだとやっぱりのびのびとできないから。塙さんだけで一回自分のほんとにボケたいことを全部出してもらって。それを僕がお客さん目線でツッコむのが、一番やりやすいです」

佐藤「じゃあ、土屋さんは改変とかはしないで……?」

土屋「なるべくそのままやらせてあげたいなあ、とは思ってます」

月に1本ではプロ失格

ここで、塙のプロとしてのこだわりが。

「そのほうが圧倒的に大量に作れます。若手って、月に1回のライブがだいたい芸人のペースとしてあるんですよ。で、その月に1回の事務所ライブで、成績が良かったら次にステップアップしていく。若手芸人と飲みに行くと『来月のネタ、ちょっと今考えてんスよ』みたいな。で、コンビで相方と話して1本作ってくんですけど……。やっぱり芸人になってですね、1ヶ月に1本のネタのペースでやっていこうということ自体が、プロとして失格なんです」

佐藤「(笑)」

多作が独創を生む

「月に10本でも20本でも作るペースじゃないと無理だと思うんです。そんときにいちいち二人で会って、ゼロとゼロでどうしようかって。そうすると作れないですよ。ゼロ・ゼロだと。100・ゼロだと(土屋に)見てもらって、それを120にもできるしってなるじゃないですか。だからやっぱり、1本の作品をとにかくいっぱい作るべきだと思うんですよね。そうすると早いし、やっぱり独創的になるから」

たくさん作ることで、独創的になる。月に10本もネタを考えるのは大変だとは思いますが、そこをやり遂げるところがプロの証なんでしょうね……!

一番のワクワク感

土屋「僕も直したほうがいいってのはありますけど、1回やるんですよ。やったらもうだいたいお客さんの反応でわかるから。それを受けて直すのが手っ取り早い」

「ここ消したほうがいいとかね」

土屋「試す前から言っても、言うこときかないじゃないですか。そういう意味ではほんとに寄席の舞台は試させてもらってかなり助かってますよね」

佐藤「なるほどね……」

「やっぱワクワクしますけどね」

土屋「最初の舞台は。まだ誰にも見せてないネタを、一番最初に下ろすときのワクワク感。これやっぱ一番ですね。それがやっぱりなかなかテレビではできないから、やっぱり生の舞台なんですよ」

佐藤「ずーっとあるから、ってことですよね」

いつも変わらない塙のボケ

番組では東洋館でのナイツのネタが流れました。
2018年春ごろの舞台だったのでしょう、ピョンチャンオリンピックのネタでした。
こちらも、ちょっと抜粋。

土屋「(オリンピックで)だいたい皆が見てたやつ。わかるでしょ」

「女子カーリングじゃないですか?」

土屋「そうそう、そういう話でいいんだよ」

「銅だね〜」

土屋「そだね、だろ。銅メダル獲ったけど」

「銅だねぇ〜」

土屋「メダル獲る前から言ってたんだよ、『そだね〜』って」

時事ネタを積極的に取り込むのがナイツのスタイルです。

「スピードスケートですか、後は」

土屋「ああ、スピードスケートもメダルラッシュでしたから」

「上石神井奈緒すごいなと」

土屋「小平だよ。西武線の駅、間違えてんだよな」

「えっと、花小金井奈緒が……」

土屋「一個前だそれは。次の駅で待ってんだこっちは」

「小平奈緒! やっぱ彼女はすごいですよね。たった一人でオランダまで行ったって言うんですよ」

土屋「そうね、武者修行が成果を結んだっていう」

「オランダなんてなかなか行けませんよ」

土屋「いやそりゃそうですよね、女性が一人で」

「オランダ行くには高田馬場で一回乗り換えて……」

土屋「いや乗り換え方いいんだよ」

「日暮里から……」

土屋「ほんとに小平住んでるわけじゃないから」

テキストに起こしておもしろさが伝わるかわかりませんが、西武新宿線のネタは東京に住んでないとわからないですね。これも東洋館ならではのチョイスなのだと思います。また、東洋館での漫才は、かなりテンポを落とした語り口でした。高齢が多い客層に合わせて、ゆっくりめにしているのでしょう。
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練習と、賞レースに出ること

漫才はお客さんと作るもの

佐野「たくさんテレビとかに出てらっしゃるじゃないですか、それでもやっぱりこの200人くらいのこういう場所(東洋館)で、カサカサ(客の雑音)とかに怯えることもあると思うんですけど、それでもやってるのってやっぱり『鍛える』みたいな意味もあるんですか?」

「なんか普段、漫才の練習しないんですよ」

佐藤「え!」

「だからもう練習みたいな感じなんですよね」

土屋「そうですね、申し訳ないですけど」

「ほんと申し訳ないですけどね」

佐藤「そうなんですか……」

「だから結局漫才なんて、壁に向かって練習したりとか二人で練習してる人いるんですけど。あの、僕はですよ? 個人的にですけど、何の意味もないと思ってて」

佐藤「(笑)」

「お客さんの反応がはじめてあって、生み出されるものなので。ここの二人だけでいくらやったって……」

なんと普段は漫才の練習をしないとのこと……!

賞レース用の漫才の違和感

「だからテレビだと、特に賞レースだと間違えちゃいけないとか。優勝しなきゃいけないとか。普段考えなくていいような余計なことが入ってくることが、ちょっと違うかもしんないですね」

土屋「不自然なんですよね、賞レースでやってる漫才って。僕らの場合は普段やらないのにそんときだけめちゃくちゃ練習して仕上げていって、出した漫才って、今見るとすごい不自然なんですよね」

佐藤「そうですか……」

土屋「お客さんの前でやってるって感じじゃないんですよね、ほんとに。自分たちの、この練習の成果出しただけだから。ある意味自己満足だったりして……」

漫才する楽しさとは

直に伝わると、めちゃくちゃ嬉しい

佐野「賞レースで勝つこととかでもなくって、自分でこれは『やった!』って思うことって何ですか?」

土屋「ああ〜。……大きい目標とかよりも、僕はほんとちっちゃいことなんですけど、今日あそこ(客席)にいた人がマジで腹抱えてたなとか。なんか顔見たらわかるんですよ、ちょっとほんとに過呼吸になりそうなとか」

佐野「(笑)」

土屋「そういう人を見つけたときに、めちゃくちゃ嬉しかったりするんですよね。塙さんのボケが一番直に伝わってるな、って感じの反応を見たときに嬉しい。だから舞台立ってるとそれがあるからモチベーション上がりますね」

塙の原点

「うんこちんちん」

佐野「過去の出来事で、今の自分に影響してるなあ、ってことありますか?」

「いじめじゃないんですけど、幼稚園のときにうんこ漏らしたことあって、それずーっと小学4年までイジられるんですよ」

佐野「はい、はい」

「今ならめちゃくちゃオイシイじゃないですか。やっぱ子供の頃それが嫌で嫌で」

佐野「ですよね」

「どうしたらいいんだろう?、と思ったときに、テレビでドリフターズが、『うんこちんちん』ってギャグにしてて、これだ!って思ったんです。小4のとき。ほんで、オリジナルのうんこソングみたいなのを作って。(イジりが)来たときに、『俺はうんこなんだ、うんこだ、うんこくさくさ〜♪」。それからですよ、人生変わったの。めちゃくちゃウケて。『何それ! おもしろい!』みたいになって」

土屋「お笑いのきっかけでもあるし、初めて曲作った体験だね」

佐藤「オリジナルソングを(笑)」

「いい質問してくれましたね。それが原点ですから。お笑いは庶民の知恵なんです」

感想への照れと違和感

「大したことしてないのにな」

佐野「私たちはライブをやっていると、元気をもらったとか、しあわせな気持ちになりましたとか、そういう感想があるとき……」

「照れますね」

佐野「なんかそれをどう受け止めたらいいかわかんない」

土屋「いやー、わかりますよ」

「いいと思いますよ、その悩み。わかります、すごくわかります。照れますね。単純に。そんな大したことしてないのにな、っていう気持ちがないとダメだと思うんですよ。権力じゃないので、お笑いも音楽も。だから……『俺らの曲聞いておまえら元気になっただろ』とかになっちゃったら終わりだと思うんです。やっぱ宗教でも権力でもないので。だからほんと言うと、僕らの漫才見て、命救われましたって言う人は、『大丈夫ですか?』と」

佐野「(笑)」

「心、大丈夫ですか?って」

土屋「そうですね、あんまり人に言わないほうがいいですよ、って」

「お客さんのその日の状態だったり、やっぱそれはもちろんあるので。だからほんとにそうやって元気になって帰ってもらえれば、それはラッキーだしって思いがありますよね」

佐野「そのこと自体は嬉しいですか?」

「もちろんそれは嬉しいし」

土屋「いろんな感想あっていいと思いますけどね、面白かった、っていうのだけじゃなくても」

これからの、ナイツ

かすかな光

佐野「これから、どういうふうになったら『売れてる』って思いますか?」

土屋「こっから先。ええ……わかんないなあ……」

「僕らですよね」

佐野「はい」

土屋「テレビ出てる人めちゃくちゃ多いから、その人たちみたいに売れる方法って正直ちょっと……もう行き詰まったというか(笑)。わかんないです。そっちで売れる方法はわかんない。ただ、こっからさらに漫才をおもしろくするとか、来たお客さんをもっと笑わせる、っていうほうが、まだちょっと見えるというか。そっちのほうが、まだなんか現実的かなって、今の実力と、タイプ的に思うから……そっちをがんばってったら、もっといつの間にか、他のテレビにも出れるようになってるのかな、っていうふうに、そこが光です。今感じてるのは」

「漫才を一生懸命やっていって、今のまま、キープはした上で、なんかちょっと時代的に、僕らが売れるようになってくれたら、ラッキーかな、みたいな」

脇道が王道になる

似たもの同士の二組

番組の締めでは、「古く見えて、実は新しい表現を求める二組」と評されていました。どちらも、オーソドックス、スタンダード、正統派と呼ばれるけれども、当の本人たちには全くそのつもりがなかったんですね。
むしろ攻めた表現を確立させて、ずっと続けていた。
続けていたら、いつの間にか「オーソドックス」と呼ばれるようになったというのは、興味深い話だったと思います。それが、音楽とお笑い、どちらでも起こりえるというのも、またおもしろいですね。
トーク番組では暴走しがちなナイツが、この対談では真剣に質問に応じる様子が印象的でした。
そうそう。
ハンバート ハンバートをご存じない方は、ぜひヤホーで検索してください!Googleでもいいですよ。楽曲に興味がある方は、アルバムもおすすめです。